DQ3世界で

やる夫はDQ3の世界で生きていくようです

 ある朝目が覚めたら、ドラクエ3の世界に召還され、勇者として大魔王を倒しに――というテンプレ出だしなのだけれど、「100人勇者」という発想が秀逸。やる夫以前にも同じように召還された人が大勢いて、それぞれがパーティーを組んで「ドラクエ3勇者」として活動している。メインで登場するのは10組程度だけれど、それでも充分に多いわけで、複数の視点から広がりをもって描かれている。

 これは、異世界転生・現代知識チートものの秀逸な解のひとつだと思うのよね。

 現代知識チートって、「ネットも参考書もなんも持ってないのに、なんで主人公はそんなに博識なの?」というツッコミは必ず出てくる。もちろん日常生活ではほとんど役に立たない雑学知識を山ほど覚えていたりする人やガチで博識な人も実際にはいるが、そういう人はあまりいないわけで、たまたまそういったタイプの主人公ばかりというのも無理のある設定。

 多人数を登場させるのは、それを無理なく解決している。大学の専攻なり職業なり趣味なり、この分野なら他人より詳しいと胸を張れる分野を誰しも持ってるわけで、たった一人が万能チートになるのは不自然でも、それを複数人で分担すれば妥当なものになる。登場人物が増えることで描写の手間が格段に増えるハードルの高さはあるわけだが。

 

 この作品の素晴らしい点はもう一つあって、細かな設定の作り込みがハンパない。

 異世界を舞台にして創作するにあたって、その世界や社会のシステム、一言で言えば「経済」なんだろうけど、それがどうなっているのかというのは重要だ。二次創作、特にゲーム原作のもので言えば、「ゲームシステム的な部分をどう解釈するか」というのは大きな問題であり、作者の個性が出る見所でもある。

 モンスターを倒すと何故お金が手に入るのかとか、生態系を踏まえたモンスターの群生とか、[つかう]コマンドではなく実際にどう薬草(アイテム)を使うのかとか、各町の特色や力関係から捏造した歴史設定とか、ルーラが原作設定通りなら社会の仕組みそのものがもっと違った形になってるよね→じゃあどう解釈つけて制限すればいいのか、……など。細かなところまで気を配られているし、独自な解釈・設定も腑に落ちるものとなっている。そういった積み重ねがあるからこそ、「生きていくようです」というタイトルが非常に真っ当なものとして納得できる。

 余談だが、MMORPGへの転生(?)が最近の主流(らしい)ってのは、まさにこの理由が大きいんだろうなあ。社会や経済の仕組みの細かい部分まで考えなくてもいいし、不都合が出たとしても、「ゲームシステムの仕様」という言い訳一本で解決してしまう。そら好き勝手できるし、お話考えるのも楽だろうよ。悪いとは言わないけれど、イチからきっちり細部まで作り込まれたファンタジーの方が上だとは思う。

 

 サマンオサに入ったあたりから、日常パートというか、肥大した設定周りの諸々を解決するために、ストーリーが進まなくて若干だれてた部分はあるのだけれど、ここ最近になってそこらへんも動き出して、続きが楽しみ。